初のNHK番組には、抗議の電話が殺到しました

初のNHK番組には、抗議の電話が殺到しました
もともとシャンソン歌手だった私が、なんでお料理の仕事をすることになったのか。その経緯を簡単にお話しします。

子どもの頃からお料理することは好きでした。でも三度三度まじめに作るようになったのは結婚してから。夫のために作る。子どものために作る。小さい子供と大人は食べるものも時間帯も違うので、お母さんと奥さんの両立はなかなか大変です。子供には毎日お弁当をつくります。夫の帰りが遅い時は夜食をつくります。夫のお客さんもあります。お客さんに夕食を出す。その前にビールのおつまみを作る。「おいしいね、レミちゃん」と言ってくれれば私も嬉しいから、もっとおいしいものを作ろう、という意欲がわきます。夫のため、子どものため、お客さんのため、そして自分のために一生懸命つくりました。
はじめての料理の仕事
料理の仕事をするキッカケは、夫の友人のひとことでした。「『四季の味』という雑誌にリレー・エッセイを書いたんだけど、次の人にバトンタッチしなきゃいけないんだ。レミちゃん、引き受けてくれない?」と言いました。私は「だめですよ。料理の専門雑誌に文章なんか書けません」と断ろうとしました。でも、「いいんだよ。いつもぼくたちに食べさせてくれる、レミちゃんの手料理のことを書いてくれれば」と押し切られて、仕方なく引き受けたんです。私は言われたとおり、いつもの手料理のことを書きました。そしたら私の料理のちょっと変わったところが好評だったらしく、それがシリーズになりました。素人だってところが受けたのね。主婦としていつも作ってるものを紹介してたから、立派な料理の先生が教える料理よりもとっつきやすいってこともあったんでしょう。するとそれを見た女性雑誌が「うちにもお願いします」って。そういう雑誌が少しずつ多くなってきたんです。
はじめての料理の仕事
抗議の電話
そのうちテレビからもお声がかかるようになりました。NHKの「きょうの料理」が最初だったかな。歌手としてテレビに出たことはたくさんあったし、料理は毎日やってることなので、人の前で歌うより緊張はしなかったのね。その日は「牛トマ」を作りました。薄切り牛肉とトマトを炒めるだけの簡単料理。いつものやり方でトマトを手でぐしゃぐしゃっとつぶしたの。そしたら放送のあと、NHKに抗議の電話がいっぱいかかってきたんですって。「あの下品なやり方はなんだ」って。NHKのお料理の先生に、私みたいに早口でべらべら言いながら、手でトマトをぐちゃっとつぶす人なんかいなかったから、見てる人はびっくりしちゃったんですね。
抗議の電話
私は私のやり方しかできません
私はプロデューサーから「視聴者から抗議が来たので、今度から注意してください」と言われました。でも私は気取ることができないので「私は私のやり方しかできません」と言うしかなかったの。だからもうテレビからはお呼びがないだろうなと思っていたんです。ところが数日後、新聞のテレビ欄に「平野レミの料理番組はユニークでおもしろい」って批評が出たのね。そのせいか、その後も出演してるってわけ。あれからもう30年。いまとなっては、番組で真面目に料理を紹介すると、「今日のレミさんフツーで面白くなかった」って、物足りないみたいに言われます。料理番組なので、面白いとか面白くないとかじゃなくて、「おいしそうだった」って言われたいわよね。

さっきのお話に出てきた「牛トマ」は、実家伝来のもので、お母さんがよく作ってました。お父さんも大好きだったの。今では息子家族も孫達に食べさせているようです。いろんな歴史のあるこのレシピ。簡単で美味しいので、ぜひ試してみてください。レシピはこちら。