平野レミ「平和は幸せな食卓から」

平野レミ「平和は幸せな食卓から」
 「キッチンから幸せ発信」って、いつも言ってるの。家族で料理を食べると、幸せな気持ちになるでしょう。幸せな家庭が増えれば、その街は平和になる。それが広まれば、いつか世界が平和になると思うから。
 子供のころ、うちの食卓はにぎやかだったわ。父が身寄りのない混血の子を引き取って一緒に暮していたから。雑魚寝して、きょうだいみたいに育ったの。
 大変だったのが食事の用意。小学生だった私は母を手伝って、よく台所に立ってた。創作料理も作って。料理の楽しさに目覚めたのがこのころだったな。
父の威馬雄さんは、「ファーブル昆虫記」の訳者で知られる仏文学者。日本美術史家で米国人の祖父と、日本人の祖母の間に生まれたハーフだった。第2次世界大戦後の1953年、混血の子供を救う会を仲間と5人で設立した。

 父は子供時代にいじめられた経験から、同じ境遇の子を助けようと会をつくり、自宅で面倒も見たの。うちに来た子は、父親を知らない子がほとんど。戦後、占領軍兵士が日本人女性に産ませ、そのまま帰国してしまったのね。肌が白い子も黒い子もいたわ。
 ある時、父に「私と引き取った子、どっちが好きなの」と聞いたの。自分だけの父じゃなくなったみたいでさみしかったのね。父は、「パンを半分に割って、どっちがおいしいかって聞くのと一緒だよ」と優しくなだめてくれたわ。
救う会は80年代に解散するまで2千人を支援した。
 本来、国がやるべきことなのに、父は見て見ぬふりできなかったのね。混血の子は就職でも不利で、大人になっても差別され続けたみたい。後に訪ねてきてくれた子が「戦後は終わってない。私たち、ずっと大変」と、話していたのが忘れられない。
 最近、憲法改正に関するニュースが気になるの。父は戦時中、米国のスパイと疑われ、憲兵の取り調べも受けた。疑いは晴れたけど、「はなをかんだ紙まで調べられた」って。戦争前の空気を「少しずつ世の中がきな臭くなっていく」と表現してた。気が付いたら遅かった、とならないよう、国民が見張っていないと。
世界平和は、お母さんがつくる
 私の料理はシェフの料理じゃなくて、シュフ(主婦)の料理。レシピは全部、家族がおいしいと言ってくれたもの。食べ上手の夫は「まずい」とは言わず、「この味がちょっと足りない」って言うの。だから「次はこうしよう」って、料理を楽しむことができたわ。
 今は若い人の料理離れが心配。レトルト食品を温めるだけの食事は便利だけど、それだと、「おふくろの味」がなくなって、「ふくろ」の味になっちゃう。
 やっぱりお母さんが家族のために作る料理が家庭の原点。家庭の幸せは、お母さんにかかっているの。キッチンから平和が生まれるとしたら、その真ん中にいるのはお母さん。世界平和はお母さんがつくる。そう思いながら、毎日、キッチンに立っています。
世界平和は、お母さんがつくる