白いごはんと、オヤゴコロ。

白いごはんと、オヤゴコロ。
明日香です。長女の幼稚園では、月に一度、「白おにぎりの日」という日があります。お弁当の代わりにおにぎりを持っていくのですが、具や海苔は禁止です。味付けは、握るときの塩だけ。おかずや果物を持っていくことも許されません。幼稚園では、みんなで白おにぎりを食べながら、わたしたちがどれほど食べものに恵まれていて、それがどれだけ贅沢なことかを、子どもたちに教えているそうです。よーく噛んで、お米本来の味とおいしさを知るのも目的のひとつ。家では白いごはんを残しがちな娘も、白おにぎりだと「お米ってずっと噛んでると甘くなるんだよ。ママもやってごらん。」なんて、ご立派なコメント付きで完食してきてくれます。子どもたちが体感できる食育の取り組みである上に、お弁当作りもラクできてしまうという、親としてはなんともありがたいプログラムなのです。
我が家に土鍋がやってきた
そんな幼稚園の取り組みに刺激されて、それなら最高においしいごはんで白おにぎりを握ってあげたいと思い、土鍋を買いました。前のコラムでも紹介した若杉ばあちゃんの著書に、「お米本来のおいしさを引き出すには、土鍋で炊くのが一番!」と書いてあったことを思い出したのです。
我が家に土鍋がやってきた
土鍋が届いたその日は、「今夜のごはん、子どもたちはどんな反応するかな〜」とワクワクで、すぐに炊きたかったのですが、そうはいかず、がっかり。なぜなら、まずはきれいに洗った土鍋を完全に(ここがポイント)、自然乾燥させなければなりませんでした。水気を含んだまま火にかけると、土が急激に膨張・収縮し、割れる危険があるからです。乾かした後は、お粥を炊いて「目止め」をします。土と土の間に空いている無数の穴を、お米のでんぷん質で埋めるのです。そんなわけで、使い始める前の下準備で、2日間かかってしまいました。
土鍋には、他の調理道具にはない面倒さがあります。でも、生きものと接するみたいで、とても愛着がわくのです。水や火の加減を目盛りやスイッチに任せず、湯気の様子を見張り、こげていないか鼻をきかせる土鍋の炊飯は、感覚がとぎすまされ、不思議と気持ちが整っていくよう。土鍋の魅力は、あえて手をかけ時間をかけることで、「大切なひとにおいしいごはんを食べさせたい」というシンプルな気持ちを取り戻せるところだと、わたしは思います。
それでも娘はパンと言う
ある朝、朝ごはんにおにぎりを握っていたら、起きてきた娘に「え〜パンがよかった〜」と言われました。わたしはムッとして、娘にむかって「じゃあ、フランスに生まれたら良かったね!」と言いました。「なんで?」と聞くので、「フランスの人は、ごはんのかわりに毎日パンを食べるからだよ。」と返すと、娘は少し考えて、「でも、おにぎりもすきだよ。納豆ごはんもすきだし。お魚のっけて食べるのもすきだし。だからフランスじゃなくていい。」と言い、プイッと向いてテーブルにつきました。まったく、憎たらしい・・・でも、おにぎりや納豆ごはんのことを考えて、「それもすきだな」と娘が思ったことが、なんともかわいいやら、安心やら。ポッと、胸があったかくなりました。
これだからオヤゴコロって不思議です。子育てにしても、土鍋にしても、通り一遍にはいかないめんどくささが、やめられないんですよね。