体のことは、季節に聞こう

体のことは、季節に聞こう
娘はたまに、レミさんとふたりでスーパーマーケットへお買い物に行きます。帰ってくるふたりは、いつも大盛りあがりです。「私がお魚を選んできた!」と、自慢げな娘に、「そうなのよ〜この子は目が利くのよ〜!」と、孫を自慢するレミさん。なかなかハッピーな光景です。 氷水の中にザブンと入れられたサンマの中から、娘が選んで袋に入れるのをレミさんが見て、「太っちょでいいね!」とか、「おめめがキョロキョロしててきれいだね!」とかコメントしながら買ってくるんだそうです。娘は、こういう経験をたのしく記憶して、旬の感覚や、おいしいお魚の見分け方を学んでいくのだと思います。
「旬」の感覚をこどもにも
考えてみると、わたしが主婦になる前(自分でスーパーに通いはじめる前)、生活の中で「旬」を感じる機会はあまり多くありませんでした。 東京育ちのわたしにとってはなおさらです。でも、食育なんて言葉ができるずっとずっと前から、レミさんをはじめとする昔のおかあさんたちは、食べ物を通して、こどもたちに「旬」の感覚を育んでいたのだと思います。それは、自然が与えてくれる恵みであり、日本の風土への理解であり、食べ物に対する敬意であり。いまの便利な時代では忘れてしまいがちな、とても大切な教えだったのではないでしょうか。
「旬」の感覚をこどもにも
体のことは、季節に聞こう
時代が変わっても、日本の恵まれた四季は変わらず流れ続けています。最近こそ、不思議な天気が続きますが、それでも自然は、私たちに旬の食材を恵んでくれます。旬とは、単に食材の収穫・漁獲量が最も多い時期というだけではありません。その季節を生きる私たちの体に必要な栄養を、季節の食材が備えてくれる時期でもあります。たとえば、汗をたくさんかく夏は、トマトやきゅうりなどの水分豊富な野菜が旬を迎え、寒くなるこの季節は、体をあたためる作用がある根菜が旬を迎えます。つまり、自然と人間の体が最高にマッチする瞬間だと、私は思っています。
体に必要なものはだいたい自然が与えてくれる。そう考えたら気が楽です。旬の食材が手に入ったときは、料理というより、ちょこっと手をくわえるだけ。それでも勝手においしいので、これまた助かります。